韓非
Han Fei
前280年 〜 前233年 (47歳頃) 推定
中国戦国時代の思想家。法・術・勢による統治を体系化し、法家を大成した。 生没年・人生の出来事を出典と確からしさ付きの年表で。
人生タイムライン
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前280年頃 推定
韓の公子として生まれる
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前255年頃 25歳頃
荀子に学ぶ。同門に、のちに秦の宰相となる李斯がいた
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前250年頃 30歳頃伝承
吃音のため弁舌を苦手とし、著述に力を注いだと伝わる
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前245年頃 35歳頃
法(公開された賞罰の基準)・術(君主が臣下を操る方法)・勢(君主の地位が持つ力)を統治の三要素として体系化する
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前240年頃 40歳頃推定
韓の衰えを憂えて王に献策を重ねるが、用いられなかった
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前234年頃 46歳頃
秦王政(のちの始皇帝)がその著作を読んで感嘆する。秦に攻められた韓は、韓非を使者として秦に送った
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前233年 47歳頃
秦に赴くが、獄に下されて死ぬ。『史記』は同門の李斯の讒言によるとする
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前221年 没後12年
その理論は秦の統一と統治の支柱となり、以後の中国の統治術に受け継がれる
関連人物
影響を受けた荀子
影響を与えた始皇帝
補足: 死因には、『戦国策』が伝える秦の重臣・姚賈への讒言が原因とする異説もある